富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)
門前仲町の永代通り沿いの商店街、富岡八幡宮に行って来ました。
富岡八幡宮で有名なのは、神田祭、山王祭と並んで江戸三大祭の1つに数えられ約370年の歴史を誇る
「深川八万祭り(ふかがわはちまんまつり)」。
~富岡八幡宮由緒~
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。
周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。
世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
富岡八幡宮公式HP、御由緒ページより抜粋
まぁ、有名なのは知識としてあったのですが実際に訪れてお参りするのは、はじめてです。
境内の鳥居を抜けて、ほどなく目に入ってきたのは・・
大関力士碑(おおぜきりきしひ)?
なんでしょ?
説明書きには・・
~当館は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代の横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関力士碑は歴代の大関が顎彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)
昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。
~
なんとなくわかったけど、説明が難しい、。とにかく明治の歴代の横綱の名を刻んであるんだね。
さらに富岡八幡宮の公式HPにはこんな内容が・・
横綱力士碑ページより文書を抜粋
~相撲と富岡八幡宮~
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。
江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。
その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。
その地こそが当宮の境内だったのです。
以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。
そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は当宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
詳細は小島貞二著『江戸勧進相撲と富岡八幡宮』 (富岡八幡宮社務所)の一読をお薦めします。
~
大関力士碑の隣には、巨人力士身長碑なるものが建っており、裏に回ると力士の名前と身長の印が刻んであります。
さらに力士の名前と手形と足形
私は手が小さく、貧弱なのですが、、だからってこの差はなんじゃい!!
さて、この大関力士碑の前には深川祭りで担がれる神輿がガラス張りになっている堂に保管されています。
~富岡八幡宮御本社神輿
(日本一の大神輿)*抜粋
江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門により三社託宣に因み、八幡通り・神明通り、春日通りの三基三様の
神輿が奉納され、みこし深川と云われて参りましたが大正十二年の関東大震災で惜しくもその全てを消失してしまいました。
~
で、今の神輿が復活ということで出来たわけですけども、重さで4.5トン。
ダイヤモンドが鳳凰の目や小鳥の目、他に惜しげなく使われているんです。
ルビーなんか鳳凰に2010個も使用されているそうですよ。
すごい!!
ちなみに神輿の大きさの比を神輿をみている通りがかりの叔父さんで、、。
最後は本堂でお参りです。
何をお参りしたかって??。えへへ。
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富岡八幡宮で有名なのは、神田祭、山王祭と並んで江戸三大祭の1つに数えられ約370年の歴史を誇る
「深川八万祭り(ふかがわはちまんまつり)」。
~富岡八幡宮由緒~
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。
周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。
世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
富岡八幡宮公式HP、御由緒ページより抜粋
まぁ、有名なのは知識としてあったのですが実際に訪れてお参りするのは、はじめてです。
境内の鳥居を抜けて、ほどなく目に入ってきたのは・・
大関力士碑(おおぜきりきしひ)?
なんでしょ?
説明書きには・・
~当館は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代の横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関力士碑は歴代の大関が顎彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)
昭和五十八年に建てられた碑で、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を利用しています。
~
なんとなくわかったけど、説明が難しい、。とにかく明治の歴代の横綱の名を刻んであるんだね。
さらに富岡八幡宮の公式HPにはこんな内容が・・
横綱力士碑ページより文書を抜粋
~相撲と富岡八幡宮~
当宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。
江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。
その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。
その地こそが当宮の境内だったのです。
以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。
そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は当宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。
詳細は小島貞二著『江戸勧進相撲と富岡八幡宮』 (富岡八幡宮社務所)の一読をお薦めします。
~
大関力士碑の隣には、巨人力士身長碑なるものが建っており、裏に回ると力士の名前と身長の印が刻んであります。
さらに力士の名前と手形と足形
私は手が小さく、貧弱なのですが、、だからってこの差はなんじゃい!!
さて、この大関力士碑の前には深川祭りで担がれる神輿がガラス張りになっている堂に保管されています。
~富岡八幡宮御本社神輿
(日本一の大神輿)*抜粋
江戸時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門により三社託宣に因み、八幡通り・神明通り、春日通りの三基三様の
神輿が奉納され、みこし深川と云われて参りましたが大正十二年の関東大震災で惜しくもその全てを消失してしまいました。
~
で、今の神輿が復活ということで出来たわけですけども、重さで4.5トン。
ダイヤモンドが鳳凰の目や小鳥の目、他に惜しげなく使われているんです。
ルビーなんか鳳凰に2010個も使用されているそうですよ。
すごい!!
ちなみに神輿の大きさの比を神輿をみている通りがかりの叔父さんで、、。
最後は本堂でお参りです。
何をお参りしたかって??。えへへ。
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